トランクルームマーケット情報

震災を乗り越え、復興に向けて -更なる成長へ-

筆者:マーク・ライト


2011年3月11日(金)午後3時、日本のセルフストレージ最大手の1社であるキュラーズでは、月例のシニアマネジメン.トチーム会議を終えようとしていた。同社代表取締役のスティーブ・スポーン氏が2階の会議室で同僚たちと話していたその時、揺れが始まった。

「普通、これは地震だなと気付く頃には、地震は終わっているものなのですが」とスポーン氏は振り返る。「でも、今回は揺れが止まらなかったし、どんどん揺れが大きくなっていきました。」

「ディレクターのひとりがオフィスから駆け出していったのですが、そんな風に走っていく人をそれまで見たことはありませんでした。彼はオフィスから2km離れた自宅にいる奥さんと生まれたばかりの息子の元に飛んで帰ったのです。」

「それでもまだ揺れ始めてからほんの1分くらいでした。外に出て行ったスタッフもいたのですが、何をしたらいいのかよく分からなくて。屋内も屋外も、どこも安全なところはないと感じましたね。ビルはギシギシ音を立てていましたし、木もゆらゆら揺れていて。10階建てくらいの高さのビルだと、文字通り前後に揺れているのが見えるわけです。足元からは振動が伝わってくるだけでなく、地面がうねっていました。とにかく方向感覚がなくなった感じで、現実離れしていました。いまだに“歩道が波打っているのを見た!”と言い張っている同僚もいますよ。」

「全ておさまったのは3~4分後でした。それからすぐに店舗運営部のスタッフが店舗に連絡を入れました。どの店舗も営業時間中だったのですが、都内にある23店舗全てでエレベーターが停止していました。当社だけでなく、東京にあるほとんど全てのビルでエレベーターが止まっている状態でした。その後間もなく、全従業員とお客様、そして全店舗の安全が確認できました。」

「最初の地震はおさまったものの、その日は混乱状態が続いていました。大きな余震がありましたし、コールセンターには店舗の営業状況について多くのお客様からの問い合わせがありました。電車が止まってしまったので、街は夜になっても徒歩で帰宅しようとする人々であふれていました。本当に、これは現実なのかと思うような光景でした。自宅が遠く、徒歩での帰宅ができないスタッフも多かったので、彼らは会社で一夜を過ごしたり、会社近くに住むスタッフの家に泊まったりすることになりました。また、病院のような最重要施設に必要な電力を割り当てるため、東京電力が広範囲にわたる停電を実施したことから、セルフストレージ施設は一時的に立ち入り禁止エリアになってしまいました。利用者は電子入館カードを使ってストレージ施設にアクセスし、エレベーターに乗ってユニットに向かうからです。幸い、キュラーズは全施設へのアクセスを遠隔制御することができるようになっています。この停電は大変でしたが、地震から2週間経ってようやく峠を越しました。」

日本のストレージ産業の展望

日本では一般に、セルフストレージは「レンタル収納」または「トランクルーム」と訳されている。スペースの提供方法は大まかに言うと、屋内型(アメリカモデルと類似)とコンテナ型(貨物船に積まれている金属製の輸送用コンテナを改装したものが一般的)の2タイプに分けられる。

トランクルーム・キュラーズ

どちらのタイプも、現地マネージャーを置いていないことがほとんどである。日本にはセルフストレージの業界団体が2つある。日本セルフストレージ協会(JSSA)とレンタル収納スペース推進協議会(RSA)である。JSSA加盟社の多くがコンテナ型を提供する企業であるのに対し、RSA加盟社は屋内型のみとなっている。どちらの団体も設立されてから日が浅い。エリアリンク株式会社に勤務し、JSSAのメンバーでもある池永奈緒氏によると、彼女が知る限り、地震で崩壊したストレージ施設はないとのことである。だが具体的にどれだけの数のストレージ施設、特にコンテナ型が津波の行く手にあったのかは、誰も正確につかめていない。「1ヵ所だけ、セルフストレージ施設(コンテナ型)が津波で流されましたが、施設そのものは壊れませんでした」と池永は言う。「ですがそのコンテナの周辺では、ほとんど全ての木造住宅が崩壊しました。津波の被害を受けたエリアは地方の海岸沿いの低地なので、セルフストレージ施設はほとんどありませんでした。」

トランクルーム・キュラーズ

地震が発生したとき、池永氏は東京都千代田区にあるエリアリンク本社の7階で仕事をしていた。「揺れがすごくて、立っていられませんでした。キャビネットが今にも倒れそうでしたし」と池永氏はその日を振り返る。「社内にとどまろうとしたのですが、2度目の大きな揺れでビルから出なければならなくなりました。それから避難場所である東京ドーム近辺に向かいました。」

「東京ではあらゆる交通網がストップしました。誰もが徒歩で帰宅することになったのですが、自転車を買っていた人もいましたよ。私は地下鉄が復旧するのを7時間待ちました。」

「買い占めが起きて、多くの食べ物がお店の棚から消えてしまいました。まず買えなくなったのはトイレットペーパー、ティッシュペーパー、インスタント食品です。その次は、懐中電灯とカセットコンロです。」

池永氏によれば、今でも余震が続いている。

トレード・ウィンズ・インターナショナルグループの社長兼最高経営責任者を務め、RSAのメンバーでもある佐治龍哉氏は、地震関連の被害がないことに特に驚く様子はない。

「日本は地震に対しても台風に対しても、世界有数の厳しい建築基準を持っている国です。日本人は、地震のない生活などあり得ないと分かっています。私たちは断層の上に住んでいるのですから。日本人は地震の対処の仕方も知っていますし、当然起きるものと予期している部分もあります。ですが、あれほどの津波は40年から70年に一度しか起きないことですから、余計にショックが大きかったのです。」

地震が発生したとき、佐治氏は大阪にいたそうである。

「会議中だったのですが、地震の知らせはあっという間にオフィス中に広まりました。ほとんど一晩中テレビを見ていましたが、起きている現実の衝撃的な映像や写真が出てきたのは翌朝になってからでした。ケーブルチャンネルも含め、全テレビ局のあらゆるレギュラー番組が中止になり、ラジオからも音楽が流れてこないという状態がしばらく続きました。テレビCMですら、長い間消えてしまったのです(普段はわずらわしいと思っていたCMですが、この時ばかりは懐かしくなりました)。」

「テレビで放送されるのはニュースの生放送だけで、それを朝から晩まで1日中見ていました。数日間、時間が止まってしまったような感じでした。」

佐治氏が今でも思い出すのは、ビジネスの混乱に加え、停電によって様変わりした東京の姿である。佐治氏の故郷である東京は、普段は色鮮やかな照明があふれ、夜もにぎやかであるが、停電のために暗く、さびしい姿を見せていた。

「私は(第二次世界大戦を)経験していませんが、ほとんどそのような状態でした。私が知っている東京には見えなかったです。コンビニですら、看板から明かりが消えていました。」

救いの手を差し伸べて

日本のストレージ産業は、一丸となって被災者支援ができるほど成熟してはいない。だが、池永氏と佐治氏によれば、セルフストレージ大手数社が、一時的な保管場所を必要としている被災者に対し、無償でスペースを提供しているとのことである。

「どんな支援のやり方があるか、ずっと考えています」とスポーン氏は言う。
「4月と5月は、新規契約の売上の10%を日本赤十字社に寄付しています。赤十字は信頼できそうですし、復興への取り組みに深くかかわっていますから。」

スポーン氏によれば、最も深刻な被害を受けた地域以外では、ほとんどの人の生活はほぼ元に戻ったという。「そのあたりを歩いて、誰かと話しても、これだけ大きな災害がつい最近起きたなんて思わないかもしれないですよ。アメリカでのハリケーン・カトリーナの数ヵ月後のようです。今でもメディアでは取り上げられますが、日本にいる全ての人に直接的な影響があるわけではありません。」

けれども、需要が30-40%跳ね上がる夏場に電力供給の問題が生じれば、この状況も変わる可能性がある。特に、原子炉がこのまま稼働しなければ、状況はあっという間に変化するかもしれない。

「最大の問題のひとつは電力です」と佐治氏は言う。「日本には50以上の原子力発電所がありますが、自然の力はどんなテクノロジーよりもはるかに巨大です。本当に電力消費を削減しなくてはなりません。」

明るい兆し

日本のセルフストレージ業界の見通しは、震災があったにもかかわらず、長期的には明るい。佐治氏も池永氏も、需要が今後伸びると見込んでいる。

池永氏によれば、自分の家や物の安全に対する日本人の意識は“大きく変わった”そうだ。前年同期と比較すると、申し込みが増えているとのことである。

また佐治氏も、このような悲劇に直面して認めるのも残念ではあるが、「1995年の阪神大震災以降、需要は確実に伸びている」と言う。

スポーン氏が見る限り、今回の震災によって需要が急激に高まっているということはない。とはいえ、業界は着実に成長するというのが同氏の予測である。日本のセルフストレージは、アメリカの30年前のような状況だと言う。同氏が社長を務めるキュラーズの場合、過去数年にわたり収益は年平均30-40%増加しているとのことである。

トランクルーム・キュラーズ 店舗外観写真

今回の震災のみならず、日本はさまざまな悲劇に直面したが、それらを克服するという経験を積んできたとして、佐治氏は言う:「日本は第二次世界大戦の焼け跡から復興したわけです。たとえ何が起ころうと、互いに助け合って再建しようということです。“こうなったら、どこか別の国に移住しようよ”という人などひとりもいません。家を失った人だって、また同じ場所に家を建て直すでしょう。自分の土地を所有するということは、日本人にとってはとても特別なことなのです。」

ページトップへ